ピアノを習いはじめるキッカケと親御さんの思い - 大切な何かがズレてしまわないために
2017-02-19 : ピアノレッスンこんにちは、FUKUON 福田音楽教室
ピアノ講師&音楽療法士の福田りえです。
いつもありがとうございます。(*^-^)/
今ピアノを習っている人、子どもに習わせている親御さん、あるいは習おうかなぁと考えている人。状況は様々だと思いますが、そこには何かのキッカケがあったのではないでしょうか。
「う~ん、なんとなく……」というのも、キッカケといえばキッカケですね。^^;
しかしそのキッカケが、大きな歪やズレを作り出してしまうことも、時にあるのです。
ピアノを習いはじめるキッカケはそれこそ様々、星の数ほどありますよね。私のピアノ教室で、そのキッカケをお聞きすると……
などなど、こういった微笑ましい答えが返ってきます。^^
中には、
という切実なキッカケや、差し迫ったイベントがキッカケでピアノを習いはじめる方もいます。
ピアノを習いはじめるキッカケは、その動機や理由、そしてタイミングも人それぞれ。まさに千差万別、十人十色なんですよね。
しかし、ピアノを習いはじめるキッカケで一番多いのは、やっぱり何といっても……
「この子にピアノをやらせたい。」
という親御さんの思いや考えですよね。
といった教育的な視点や、
など親御さんの望みだったり、
といったものまで、あるいは様々な思いが重なり合った結果として、「この子にピアノをやらせたい。」へと至るのだと思います。
「親の思い」。
ひと言でいうと、そうなりますよね。
この「親の思い」というキッカケは、ピアノや音楽との素敵な出会いになったり、後に豊かな実りへとつながることがあります。
別に音楽の道に進まなくても、自分の心を安定させたり表現したりするための術(すべ)を身に付けることで、人生の歩みの中で大きな助けとなることだってあるんですね。
障がいを持った子どもたちにとっても、発達やソーシャルスキルの獲得ばかりでなく、少しでもピアノを弾けることが、長い人生の中で貴重な余暇活動の充実へとつながっていきます。
「確かに親の思いで習わせはじめたんだけど、何だかいつの間にか、こんなに弾けるようになっちゃって、ビックリですw」という、親御さんの声をお聞きすると、私もその実りを感じます。
実りを感じられるようになるには、ちょっと時間がかかるかもしれませんが、親の思いキッカケとなり、親も子も収穫があったと思える日が来るでしょう。
「ピアノ、やらせて良かった」
「ピアノ、やってて良かった」って。
逆に不幸なキッカケになることもあります。本人はピアノなんてやりたくなかったのに、というわだかまりがマグマのように渦巻いてて、一気に爆発することも。
もうずいぶん昔のお話ですが、小学生の女の子がこれで教室を辞めるという最後のレッスンのとき、いつも同席していたお母さんに向かって、
「あんたがヤレっていったんやんかぁ~!!」
と、大泣きしながらブチ切れたことがありました。本当に大きな大きな声で絶叫したんです。ビックリするやら、悲しいやら……。
その子も、そしてお母さんも、とても可哀想でしたし、そのわだかまりに気づいて取り除いてあげることができなかった、私の未熟さも痛切に思い知らされました。
また、ご自身が子どものころピアノを学び、結構なレベルまで達したけど、事情があって辞めてしまったという後悔の念が強いお母さん。娘には同じ思いはさせたくないと、ガンガンに詰めていきます。
その腕前には自信があるだけに、なかなか娘の小さな成長が認められません。「まだダメまだダメ、あなたはもっと出来るはず、だって私の子なんだから!」と。
しかしお母さんの方が先に心が折れてしまい、結局かつての自分と同じように、娘もまた途中でピアノを辞めてしまうことに。先の例と同じく、その子も、そしてお母さんも、とても可哀想な結果となってしまったことが、今でも忘れられません。
その子たちにとっては、親の思いが重すぎたのかもしれません。あるいは、性急に結果を求めすぎたからなのかもしれません。逆に親御さんからすれば、何とももどかしく虚しさだけが残ることになります。
親御さんも、その子も、何も悪いことはしていない。でも何かが、何か大切なことがズレて、誰も望んでいない不幸な結果を招いてしまうことが、現実にはあるのです。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるように、自分からやりたい!と強く願うようなことは、程度の差はあれど、上達するためのエネルギーになります。
ピアノを習いはじめる前に、自分から「やりたい!」と思う子もいますし、ピアノを習っている途中で目覚めて、「もっとちゃんとやろう!」と思ういう子もいます。
何というか「時が満ちる」タイミングがあるんですよね。ある時期を堺に、またある出来事を経験したことで、パチンとスイッチが入る、そんな不思議なタイミングがあるのです。
時が満ち、スイッチが入ったときというのは、目の輝きや声が違いますからね。小さな子でも、そこに確かな意思の力を感じるもなんです。
それとは別に、人には成長曲線というものがあるようにも感じます。少なくとも、たくさんの子どもたちにレッスンをする中で、経験としてそれを感じることがあります。
成長というのは、やった量や掛けてきた時間と、その結果としての成果が常に正比例するものだと決まっているわけではありません。
綺麗に正比例する人もいれば、最初はなかなか伸びなかったけど、あるときからググッと伸びる人もいます。逆にスタートの伸びは凄かったけど、停滞期を向かえる人もいるでしょう。
これも人それぞれ、同じ人でも取り組む対象によって、違いがあるんじゃないでしょうか。
親御さん、そしてピアノを指導する側も含め、その子自身が固有に持っているであろう時が満ちるタイミングや、成長曲線というものをしっかりと見極め、適切な時期に、適切な強さで背中を押してあげる。
なかなか難しいですが、ピアノとの不幸な巡り合わせや別離を避けるために、ちょっとだけでもいいので心の片隅に置いておいてください。
大切な何かが、決定的にズレてしまわないために。
【関連書籍】
成功する子 失敗する子――何が「その後の人生」を決めるのか
ちなみに、私がピアノを習いはじめたのは3歳の頃、そこから長くて暗いトンネルを、誤魔化し誤魔化しくぐり抜け、やっと何かに目覚めた(ような気がした)のが音高受験を決めた中学3年生。
そこから恩師の言葉がキッカケとなり、音大目指して練習に明け暮れてたころが、成長のピークかも。
かなりの遅咲き(?)なわけですが、もし幼少期のように過度にグイグイ追い詰められていたら、私は何も成長せずに、ピアノを投げ出していたと思います。そう、あの泣き叫んだ女の子のように……。
それが私の時が満ちるタイミングであり、成長曲線だったのかなぁと、今は思います。
では みなさん!
今日も楽しいピアノライフを♪ ・∀・*)ノ
*:゜・*:.。.*.。.:*・・*:.。*・
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ピアノ講師&音楽療法士の福田りえです。
いつもありがとうございます。(*^-^)/
今ピアノを習っている人、子どもに習わせている親御さん、あるいは習おうかなぁと考えている人。状況は様々だと思いますが、そこには何かのキッカケがあったのではないでしょうか。
「う~ん、なんとなく……」というのも、キッカケといえばキッカケですね。^^;
しかしそのキッカケが、大きな歪やズレを作り出してしまうことも、時にあるのです。
千差万別のピアノを習うキッカケ
ピアノを習いはじめるキッカケはそれこそ様々、星の数ほどありますよね。私のピアノ教室で、そのキッカケをお聞きすると……
- 幼稚園の先生のピアノを弾く姿に憧れて
- お友だちのピアノ発表会に行ったこと
- ピアノの音が好きでやってみたくって
- 孫のピアノレッスンについて行って…
- 小さい頃にやめてしまい、でも大人になってからやっぱりやりたいと思って
などなど、こういった微笑ましい答えが返ってきます。^^
中には、
- 職業柄(小学校、保育士、幼稚園の先生)、絶対にピアノが弾けるようにならないと…
- 3ヶ月後の親友の結婚式で、どうしてもピアノ演奏をプレゼントしたくて
という切実なキッカケや、差し迫ったイベントがキッカケでピアノを習いはじめる方もいます。
ピアノを習いはじめるキッカケは、その動機や理由、そしてタイミングも人それぞれ。まさに千差万別、十人十色なんですよね。
この子にピアノをやらせたい、という親の思い
しかし、ピアノを習いはじめるキッカケで一番多いのは、やっぱり何といっても……
「この子にピアノをやらせたい。」
という親御さんの思いや考えですよね。
- 音楽が好きそうだから
- 心の豊かな子に育ってほしいから
- 脳の発達に良いと聞いて
- 一生の宝となる趣味を持ってほしいから
といった教育的な視点や、
- 小さいころ自分もピアノを習いたかったけど、親にやらせてもらえなかったから
- 途中で挫折してしまった私の夢の続きを見てみたい
- 我が子がピアノを弾く姿への憧れ
など親御さんの望みだったり、
- 定番の習い事だから
- 子どもにせがまれて
- 近所の子も習っているから
といったものまで、あるいは様々な思いが重なり合った結果として、「この子にピアノをやらせたい。」へと至るのだと思います。
「親の思い」。
ひと言でいうと、そうなりますよね。
ピアノをやらせて良かった
この「親の思い」というキッカケは、ピアノや音楽との素敵な出会いになったり、後に豊かな実りへとつながることがあります。
別に音楽の道に進まなくても、自分の心を安定させたり表現したりするための術(すべ)を身に付けることで、人生の歩みの中で大きな助けとなることだってあるんですね。
障がいを持った子どもたちにとっても、発達やソーシャルスキルの獲得ばかりでなく、少しでもピアノを弾けることが、長い人生の中で貴重な余暇活動の充実へとつながっていきます。
「確かに親の思いで習わせはじめたんだけど、何だかいつの間にか、こんなに弾けるようになっちゃって、ビックリですw」という、親御さんの声をお聞きすると、私もその実りを感じます。
実りを感じられるようになるには、ちょっと時間がかかるかもしれませんが、親の思いキッカケとなり、親も子も収穫があったと思える日が来るでしょう。
「ピアノ、やらせて良かった」
「ピアノ、やってて良かった」って。
本当はピアノなんてやりたくなかった!
逆に不幸なキッカケになることもあります。本人はピアノなんてやりたくなかったのに、というわだかまりがマグマのように渦巻いてて、一気に爆発することも。
もうずいぶん昔のお話ですが、小学生の女の子がこれで教室を辞めるという最後のレッスンのとき、いつも同席していたお母さんに向かって、
「あんたがヤレっていったんやんかぁ~!!」
と、大泣きしながらブチ切れたことがありました。本当に大きな大きな声で絶叫したんです。ビックリするやら、悲しいやら……。
その子も、そしてお母さんも、とても可哀想でしたし、そのわだかまりに気づいて取り除いてあげることができなかった、私の未熟さも痛切に思い知らされました。
まだダメ、あなたはもっと弾けるはず!
また、ご自身が子どものころピアノを学び、結構なレベルまで達したけど、事情があって辞めてしまったという後悔の念が強いお母さん。娘には同じ思いはさせたくないと、ガンガンに詰めていきます。
その腕前には自信があるだけに、なかなか娘の小さな成長が認められません。「まだダメまだダメ、あなたはもっと出来るはず、だって私の子なんだから!」と。
しかしお母さんの方が先に心が折れてしまい、結局かつての自分と同じように、娘もまた途中でピアノを辞めてしまうことに。先の例と同じく、その子も、そしてお母さんも、とても可哀想な結果となってしまったことが、今でも忘れられません。
その子たちにとっては、親の思いが重すぎたのかもしれません。あるいは、性急に結果を求めすぎたからなのかもしれません。逆に親御さんからすれば、何とももどかしく虚しさだけが残ることになります。
親御さんも、その子も、何も悪いことはしていない。でも何かが、何か大切なことがズレて、誰も望んでいない不幸な結果を招いてしまうことが、現実にはあるのです。
時が満ちるタイミングと成長の曲線
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるように、自分からやりたい!と強く願うようなことは、程度の差はあれど、上達するためのエネルギーになります。
ピアノを習いはじめる前に、自分から「やりたい!」と思う子もいますし、ピアノを習っている途中で目覚めて、「もっとちゃんとやろう!」と思ういう子もいます。
何というか「時が満ちる」タイミングがあるんですよね。ある時期を堺に、またある出来事を経験したことで、パチンとスイッチが入る、そんな不思議なタイミングがあるのです。
時が満ち、スイッチが入ったときというのは、目の輝きや声が違いますからね。小さな子でも、そこに確かな意思の力を感じるもなんです。
それとは別に、人には成長曲線というものがあるようにも感じます。少なくとも、たくさんの子どもたちにレッスンをする中で、経験としてそれを感じることがあります。
成長というのは、やった量や掛けてきた時間と、その結果としての成果が常に正比例するものだと決まっているわけではありません。
綺麗に正比例する人もいれば、最初はなかなか伸びなかったけど、あるときからググッと伸びる人もいます。逆にスタートの伸びは凄かったけど、停滞期を向かえる人もいるでしょう。
これも人それぞれ、同じ人でも取り組む対象によって、違いがあるんじゃないでしょうか。
親御さん、そしてピアノを指導する側も含め、その子自身が固有に持っているであろう時が満ちるタイミングや、成長曲線というものをしっかりと見極め、適切な時期に、適切な強さで背中を押してあげる。
なかなか難しいですが、ピアノとの不幸な巡り合わせや別離を避けるために、ちょっとだけでもいいので心の片隅に置いておいてください。
大切な何かが、決定的にズレてしまわないために。
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成功する子 失敗する子――何が「その後の人生」を決めるのか
人生における「成功」とは何か? 好奇心に満ち、どんな困難にも負けず、なによりも「幸せ」をつかむために、子どもたちはどんな力を身につければいいのだろう?神経科学、経済学、心理学……最新科学から導き出された一つの「答え」とは――?(Amazonより引用)Kindle版
ちなみに、私がピアノを習いはじめたのは3歳の頃、そこから長くて暗いトンネルを、誤魔化し誤魔化しくぐり抜け、やっと何かに目覚めた(ような気がした)のが音高受験を決めた中学3年生。
そこから恩師の言葉がキッカケとなり、音大目指して練習に明け暮れてたころが、成長のピークかも。
かなりの遅咲き(?)なわけですが、もし幼少期のように過度にグイグイ追い詰められていたら、私は何も成長せずに、ピアノを投げ出していたと思います。そう、あの泣き叫んだ女の子のように……。
それが私の時が満ちるタイミングであり、成長曲線だったのかなぁと、今は思います。
では みなさん!
今日も楽しいピアノライフを♪ ・∀・*)ノ
*:゜・*:.。.*.。.:*・・*:.。*・
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