ドイチュ番号D 〜 歌曲の王シューベルトの作品目録と音楽学者ドイチュの不思議なめぐり合わせ
2011-04-08 : ピアノレッスンこんにちは、FUKUON 福田音楽教室
ピアノ講師☆福田りえです。 (*^-^)/
クラシックの作曲家の作品についている番号とアルファベットについてお届けしています。
作品番号Op、J.S.バッハのBWV、モーツァルトのK、ハイドンのHob、そしてベートーヴェンのWoO、Hess、Bia。
ただの作品の番号だといっても、そこには作曲家ごとにいろんなドラマや逸話がありますよね。
そういったことをうかがい知ることもまた、音楽の楽しみのひとつだといえるかもしれません。
さて今回は「D」についてです。
【この記事の目次】
- 歌曲の王シューベルトに与えられし「D番号」
- 不完全な状態のシューベルトの作品番号
- 完全を目指して 〜 ドイチュ番号「D」の登場
- 時間を超えたドイチュとシューベルトの数奇な出会い
- ドイチュによる「シューベルト年代順作品表題目録」の作成
- シューベルト年代順作品表題目録とドイチュ番号のその後と混乱
- シューベルト作品番号Opと「シューベルト年代順作品表題目録」のドイチュ番号の閲覧
- 未来への記録
歌曲の王シューベルトに与えられし「D番号」
作品の番号を表す「D」。
これは「歌曲の王」フランツ・ペーター・シューベルトの作品につけられる番号です。
シューベルトは歌曲王という名の通り、『魔王』や『セレナード』、『野ばら』など素晴らしい歌曲の数々を残しています。
またシューベルトの『アヴェ・マリア』は、グノー&バッハの「アヴェ・マリア」、カッチーニの「アヴェ・マリア」と並んで、3大アヴェマリアとして有名です。
ほかにも“眠れ〜眠れ〜母の胸に〜”でお馴染み『子守歌』や、ピアノ連弾のために作曲した『3つの軍隊行進曲』などなど、みなさん一度は耳にしたことのある曲ばかり。
もし全部お聞かせできるのなら、「あ〜!あの曲ね!!」というくらい聴き覚えのある名曲ぞろいなんですよ。
さて上記の楽曲に作品番号「D」をつけるとこうなります。
- 『魔王』・・・D328
- 『セレナード』・・・D957
- 『野ばら』・・・D257
- 『アヴェ・マリア』・・・D839
- 『子守歌』・・・D122
- 『3つの軍隊行進曲』・・・D733
ではこの「D」とは、いったいどういう意味があるのでしょうか?
不完全な状態のシューベルトの作品番号
1797年にウィーンで生まれ、1828年にわずか31歳の若さでこの世を去ってしまったシューベルトは、その短い生涯の中で1000曲近い作品を残しています。
実はその作品の中には「D」ではなく、作品番号「Op」が付けられている楽曲もあるんですよね。
先ほどご紹介した曲でいえば『魔王』はOp.1となっています。
これはシューベルトがまだ生きていたころ、あるいは彼の死後に、楽曲が出版された順に出版社によってつけられたものです。
しかし作品番号「Op」が付いているのは170作品ほどと非常に少なく、すべてを網羅するにはとてもじゃないけど足りません。
また付けられた作品番号「Op」は、シューベルト自身が作曲した順とはまったく関係がありませんでした。
『魔王』はOp.1ですが、シューベルトが人生で一番最初に作曲した曲ではありません。
たしかに、ゲーテの同名の詩「魔王」に感銘を受けた18歳のシューベルト少年が、ごく短時間のうちに第一稿を作り上げたそうですが、実際はそれ以前にも多くの名曲を作曲しています。
ただ一番最初に出版されたというだけにすぎないんですね。
ところで
ひとりの作曲家がどういう順番で作曲していったのかを知ることは、後世その作曲家の楽曲を研究していく上では、とても貴重な手がかりとなるんです。
その作曲家の人生の歩と照らしあわせて、どういう風に作風が変化していったのか、誰に影響を受け、何を考え、どう楽譜に刻み込んでいったのか。
それを知ることは、作品ひとつひとつを理解して演奏するためには欠かせないことなんですね。
しかしほかの偉大な作曲家たちと同じく、シューベルトの作品も網羅的に上手く整理されていなかったんです。
完全を目指して 〜 ドイチュ番号「D」の登場
そんな不完全なシューベルトの作品番号「Op」に変わって、颯爽と登場してくるのが今回の「D」です。
この「D」はいったい何と読むのかというと・・・、一般的には「ドイッチュ」と呼ばれることが多いですね。
ドイチュ番号257『野ばら』とか、あるいはドイチュ257番といった具合です。
わざわざ“一般的には”と書いたのには少々訳があるんですが、それは後ほど明らかになります。(気になる方はコチラへジャンプ▼)
さて、このドイチュ番号を考案したのは、オットー・エーリヒ・ドイチュというオーストリアの音楽学者です。
そう、ドイチュ番号のドイチュというのは、国名ドイツの赤ちゃん言葉じゃなくて、それを考案した人の名前だったんですね。
オットー・エーリヒ・ドイチュ(Otto Erich Deutsch)
1883年オーストリアはウィーン生まれの音楽学者。
オーストリアの首都ウィーンと第二都市グラーツで美術史を学んだ後、ウィーン大学で美術史学科の講師として働きました。
第一次世界大戦に従軍した後、音楽史にその興味を移して研究に没頭。
ハイドンの作品目録とホーボーケン番号「Hob」を作ったアントニー・ヴァン・ホーボーケンの元で音楽司書としてキャリアを重ねます。
しかし第二次世界大戦によりナチスから逃れるためにイギリスに移住。
戦後ウィーンに戻り、1967年にこの世を去りました。
* * * * * *
と、ごく簡単にドイチュの経歴をご紹介しましたが、よく見ると最初は美術史が専門だったんですね。
それがどうして音楽史やシューベルトの研究へと進んだのか?
そこには数奇な運命が待っていたのでした...。
時間を超えたドイチュとシューベルトの数奇な出会い
ドイチュとシューベルトの出会い、といっても、2人はウィーンという舞台は同じでも生きた時代が違います。
シューベルトは1797年生〜1828年没。
ドイチュは1883年生〜1967年没。
街中で出会うことも、道端ですれ違うこともできなければ、音楽と美術といったまったく畑違いの二人です。
それが何故?
美術史家ドイチュとビーダーマイヤー文化
ドイチュはもともと美術の研究として「ビーダーマイヤー」を専門にしていました。
ビーダーマイヤーというのは、19世紀前半にドイツやオーストリアで流行った市民文化の総称で、豪華さとか理想的な美などとは離れ、日常的なものに目を向けるという市民の意識がつくり出した文化です。
その市民文化であるビーダーマイヤーの美術のジャンルに、モーリッツ・フォン・シュヴィント(Moritz von Schwind 1804〜1871)という画家が登場してくるのですが...。
画家シュヴィントとシューベルト 〜 シューベルティアーデ
実はなんと画家シュヴィントと作曲家シューベルトとは、親しい友だち同士だったんですね。
シューベルトは頻繁に「シューベルティアーデ(Schubertiade)」と呼ばれるプライベートな夜会、親しい人たちだけを集めた演奏会を開いていました。
そのシューベルティアーデの常連さんとして、画家シュヴィントの名前が登場します。
もちろんシュヴィントは画家ですから、このシューベルティアーデの様子もしっかり描いていたんですね。
その一枚がコチラ。
▲真ん中にしっかりシューベルトがいますよね!
シューベルティアーデに魅了されるドイチュ
美術史家として画家シュヴィントの描くシューベルティアーデの様子を研究していくうちに、ドイチュは次第にシューベルトやその音楽に興味が湧いてきたといわれています。
そしてシューベルトの音楽を聴き、感銘を受け、ますます傾倒していったのかもしれませんね。
気がつけばシューベルト研究の第一人者と呼ばれてもおかしくないところまで突き進んでいきました。
美術史の専門家が絵画の研究を通して音楽を知り、音楽学者へと転身して大きな業績を残す。
何という運命のイタズラでしょうか。
ここまで来たら次にやることは、もちろんアレ!
作品目録の作成です。^^
ドイチュによる「シューベルト年代順作品表題目録」の作成
シューベルトにのめり込んでいったドイチュは、出版された作品はもちろん、未出版や未発表、未完成の楽曲、スケッチや断片、そのほかの資料などをかき集め、精査し、作品目録としてまとめ上げます。
それが1951年に英語版として出された、
『Franz Schubert – Thematic Catalogue of all his works in chronological order』。
つまり「シューベルト年代順作品表題目録」です。
シューベルト年代順作品表題目録の大きな特徴
ドイチュがシューベルトの作品目録を作るにあたって一番大きな目標にしたのは、実際に作曲された時系列順に並べ直すことです。
上で書きましたように、作曲順がわかるということは、その作曲家の楽曲を研究する上でとても大切なことだからです。
とはいっても時系列の混乱した多くの楽曲を、作曲された正しい順番に並べ直すのは、とっても骨の折れる大変な作業となります。
J.S.バッハやハイドンのような偉大な作曲家であっても、時系列順に並べ直すのを断念した作品目録もあるくらいですから。
しかしシューベルトの場合は、自筆の譜面のほとんどに日付を書き込んでいたので、これが大きな手がかりとなったそうです。
また日記も残しているので、年代順に並べ直すのに大変役に立ったといいます。
いやはや、書いておくものですよね〜、日記って。^^
ドイチュ番号による整理
さて時系列順に並べ直した楽曲に対して、整理するための番号を順にふっていきました。
それが「D」、すなわちドイチュ番号というわけです。
今現在のドイチュ番号は、1810年シューベルト13歳ころの作品「4手ピアノのための幻想曲 ト長調(D 1)」から、今ではD2cとされている断片的な「弦楽四重奏曲 ニ長調(D 998)」までの全998番です。
また作品番号Opとの対比表や、偽作や疑わしい作品の一覧も付録として記載されています。
さらに「歌曲の王」というくらいですがら、歌曲に関しては標題や、その歌曲の冒頭部分から作品を探せるように配慮されています。
至れり尽くせりですね。^^
ドイチュ番号「D」の呼び方へのこだわり
ドイチュは「シューベルト年代順作品表題目録」の序文でこう書き記しています。
自分の名前の略記ではなく、シューベルトの作品を表す記号として、省略記号であることを示す『.』を用いずに使って欲しい。
また『新シューベルト全集』の序文にもこう書いてあります。
オットー・エーリヒ・ドイチュの希望に沿って、作品目録の番号は、単に「D」だけを付けて引用される。すなわち、例えば、D 200。DV 200でもない。
つまりドイチュ自身は「D」を自分の名前の頭文字ではなく、シューベルト作品を表す単なる記号として扱ってほしい、と考えていたんですね。
もしその希望に従うとすれば、D257は「ドイチュ番号257」や「ドイチュ257番」ではなく、「ディー257番」という呼び方の方がより相応しいのかもしれません。
また表記のしかたも「D.257」という風に「.(ピリオド)」を使わず、「D257」、あるいは「D 257」とした方がいいのでしょう。
(日本語の環境で間にスペースを入れるかどうかは議論が分かれています。)
何故そんなに奥ゆかしいのでしょうか?
音楽学者としてのドイチュの業績とそのスタンス
ドイチュは「シューベルト年代順作品表題目録」以外にも、音楽学者として多くの業績を残しています。
たとえばヘンデルやモーツァルト、そしてシューベルトの「ドキュメンタリー伝記」や、ハイドンに関する学術論文やカノンのテキストなど。
そういった数々の業績の中で、ドイチュは一貫して「自分の考えや推測、推論、主観」は一切挟まず、「史料や資料そのものを適切に扱うことで多くを語らせる」ことにこだわり抜いてきました。
だからこそ「ドイチュ番号」は単なる記号「D」であってほしいと考えたのでしょうね。
「ドキュメンタリー伝記」という名称にもそれが表れているような気がします。
シューベルト年代順作品表題目録とドイチュ番号のその後と混乱
「シューベルト年代順作品表題目録」はその後1978年に、ヴァルター・デュルとアルノルト・ファイルの2人の音楽学者によってドイツ語の改訂版が作られました。
ヴァルター・デュル(Walther Dürr)
1932年、ドイツ・ベルリン生まれの音楽学者。
『新シューベルト全集』の声楽部門の編集責任者で、テュービンゲン大学音楽学研究所・同大学名誉教授。
アルノルト・ファイル(Arnold Feil)
1925年、ドイツ・マンハイム生まれの音楽学者。
テュービンゲン大学やハノーバー音楽大学で教鞭をとり、国際シューベルト協会の創設者の一人として、退任されるまで『新シューベルト全集』の編集にたずさわった。
「シューベルト年代順作品表題目録」のドイツ語改訂版は、アルノルト・ファイルが創設者の一人である国際シューベルト協会が発刊した『新シューベルト全集』に含まれています。
それが『Franz Schubert – Thematisches Verzeichnis seiner Werke in chronologischer Folge』です。
(日本語訳も改訂前と同じく「シューベルト年代順作品表題目録」でいいのかもしれません。)
ドイツ語改訂版では新たな発見や研究結果を元にドイチュ番号の見直しが行われたんですが、このこと自体はほかの作品目録でもよくあることなんです。
ただ、ちょっとした混乱が起きているのも事実だったりします。
シューベルトの交響曲の番号における混乱
シューベルトの楽曲の中で、最も大きな混乱が生じているのが「交響曲」のジャンルです。
・・・とはいえ、これを説明しはじめると、この記事がいつまでたっても終わりそうにないので、ザックリと端折ってご紹介しますね。^^;
交響曲の通し番号
まず完成された交響曲には作品番号とは別に通常「交響曲第○番」という通し番号がつきます。
みなさんご存知のベートーヴェンの「第九」は交響曲第9番、という具合に、その作曲家にとって何番目の交響曲なのかということを表しているんですね。
この番号は作曲家自身がつけることもあれば、出版社が自社での出版順につけたり、後世の研究家によって付けられることもあります。
そしてシューベルトはというと、残念なことに番号を付けてくれていませんでした...。
シューベルトの交響曲番号その1 〜20世紀初頭〜
シューベルトは生涯で14曲の交響曲を残したとされていますが、その内の6曲は未完成のまま放置されていて、1曲は手紙に記述があるだけで楽譜は未発見だったんです。
そこで完成していた7曲に対して、作曲された順番に第1番から第7番をつけていきました。
さらに未完成曲のうち第2楽章まで完成していて、その美しい旋律から人気が高かった1曲を第8番としました。
それが今でも人気のある「未完成」という名の交響曲です。
- 交響曲第1番 ニ長調
- 交響曲第2番 変ロ長調
- 交響曲第3番 ニ長調
- 交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』
- 交響曲第5番 変ロ長調
- 交響曲第6番 ハ長調
- 交響曲第7番 ハ長調『ザ・グレート』
- 交響曲第8番 ロ短調『未完成』 ←未完成だけど追加
シューベルトの交響曲番号その2 〜20世紀中頃 ドイチュ目録〜
まだ未完成とした残っていた曲の中に、第4楽章までのピアノ譜が完成しているものがありました。
それがいろんな人の手によって補筆されて、オーケストラとして演奏できるようにまでなったんです。
そこでドイチュが作品目録を作るにあたって作曲年代順を重視し、この曲を第7番の交響曲としました。
そして人気の『未完成』交響曲を第8番に、もともと第7番だった『ザ・グレート』を第9番として入れ替えてしまいました。
少し混乱してきますが、これも作曲年代順を重要視したためです。^^;
- 交響曲第1番 ニ長調
- 交響曲第2番 変ロ長調
- 交響曲第3番 ニ長調
- 交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』
- 交響曲第5番 変ロ長調
- 交響曲第6番 ハ長調
- 交響曲第7番 ホ長調 ←補筆されたので差し込み追加
- 交響曲第8番 ロ短調『未完成』 ↑入れ替わり↓
- 交響曲第9番 ハ長調『ザ・グレート』 ↓入れ替わり↑
シューベルトの交響曲番号その3 〜現在 改訂版目録〜
1978年のドイツ語改訂版の作品目録が出たことを受け、国際シューベルト協会がさらなる見直しをおこないました。
ドイチュ目録によって追加されていた「交響曲第7番 ホ長調」から番号を削除したため、『未完成』と『ザ・グレート』 がひとつづつ繰り上がってしまったのです。^^;
- 交響曲第1番 ニ長調
- 交響曲第2番 変ロ長調
- 交響曲第3番 ニ長調
- 交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』
- 交響曲第5番 変ロ長調
- 交響曲第6番 ハ長調
- 交響曲第7番 ロ短調『未完成』 ↑繰り上がり
- 交響曲第8番 ハ長調『ザ・グレート』 ↑繰り上がり
残り:未完成5曲、未発見1曲
シューベルトの交響曲番号その4 〜人気曲がゆえの混乱〜
現在シューベルトの交響曲の中で人気が高く、比較的よく演奏されるのは『未完成』と『ザ・グレート』です。
そう、人気の交響曲ほど、番号が目まぐるしく入れ替わってしまっているんですよね〜。
『未完成』・・・・8番 → 8番 → 7番
『ザ・グレート』・7番 → 9番 → 8番
人気曲はホールで演奏されたり、レコードやCDになったり、あるいはテレビやラジオで放送されますが、それが交響曲第○番なのか、紹介する人によって違いが生じてくることになるんです。
ドイチュ目録に従って紹介する人もいれば、一番最初の状態の番号で紹介されることもあります。
人気曲がゆえに混乱に拍車をかけてしまっているんですね。^^;
シューベルトの交響曲番号その5 〜場合によっては増えるかも〜
先ほど「手紙に記述があるだけで楽譜は未発見」の幻の交響曲が1曲あるとご紹介しました。
これを『グムンデン・ガスタイン交響曲』といいます。
長らく幻のままだったこの交響曲ですが、何とこの筆写譜が発見されたと話題になったことがあるんです。
しかも演奏・録音されラジオで放送されたといいますから驚きです。
もしこれが本物の『グムンデン・ガスタイン交響曲』であれば、作曲年代順では第8番になるとも第9番になるともいわれているんですよ〜。
ただ『ザ・グレート』によく似ているので、その下描きやスケッチではないか、という説もあります。
さらに(もういいって?)、一番最後に書かれたであろう未完成の『交響曲 ニ長調』は、これまたいろんな人の手によって補筆され演奏されたり、楽譜が出版されたりしているそうです。
これを交響曲第10番とすることもあるとかないとか...。^^;
混乱が完全に収束する日はくるのでしょうかね?
日本におけるシューベルトの作品番号の混乱
我が国においては日本語版の完全な「シューベルト年代順作品表題目録」がまだ存在していません。
そのためドイチュ番号が普及するのが遅く、作品番号Opで紹介されることもよくあったといい、間違いや混乱の元になっていたそうです。
それでも最近はドイチュ番号での紹介が浸透してきたみたいですが、やっぱり交響曲に関してはどの立場を採用するのかによって番号が変わってきますから、混乱は収まりそうにありませんよね。
シューベルト作品番号Opと「シューベルト年代順作品表題目録」のドイチュ番号の閲覧
シューベルトの楽曲のうち、作品番号Opの一覧はこちらのサイトから確認することができます。
⇒ Franz Schubert (1797-1828): Werke sortiert nach Opuszahl(ドイツ語)
また「シューベルト年代順作品表題目録」によるドイチュ番号の一覧はこちらのサイトから閲覧できます。
⇒ Franz Schubert (1797-1828): Werke sortiert nach D (Deutsch-Verzeichnis, 1951)(ドイツ語)
※ご利用のブラウザによっては翻訳機能で日本語表示できるかもしれません。
未来への記録
今回ご紹介したシューベルトは、楽譜に日付、そして日々の日記を書き残していたことで、後世になってからも作品をちゃんと整理することができました。
日記は日付にそって時系列順にキッチリ書かれるからこそ、そういったことが可能なんですね。
さてさて、今日の魔法は…
(〃^∇^)ノ~エイ*・゜゜・*:.。..彡☆
自分のピアノ練習日記をつけよう♪
ピアノの練習も日記として残しておけば、いつ何に困っていて、いつどうやったら弾けるようになったのか、そのとき何をどう練習したのか、どう思ったのか、そういったことがいつでも確認できます。
それらは過去に起こった成長の足跡であり、またこれから起こるであろう成長への映し鏡でもあります。
何か困ったとき、つまずいたときに見返すことで、クリアするためのヒントが得られるでしょう。
ピアノも練習のアレコレをしっかり記録しておけば、きっと将来への良き導き手となってくれるはずです。
シューベルト - エレンの歌第3番 D839 『アヴェ・マリア』
さぁ みなさん!
今日も楽しいピアノレッスンを♪ ・∀・*)ノ
*:゜・*:.。.*.。.:*・・*:.。*・
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【関連書籍】
オットー・エーリヒ・ドイチュによるシューベルトの伝記。
シューベルトの手紙―「ドキュメント・シューベルトの生涯より」 (国際フランツ・シューベルト協会刊行シリーズ)
【参考Webページ】